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伊香保・榛名山自転車旅(2020.11.15-16)

執筆者の写真: ひろれのんひろれのん

更新日:2020年12月27日

 11月15日(日)・16日(月)の2日間、伊香保温泉と榛名山に行ってきた。Go to トラベルを利用した自転車旅の2回目となる。ちょうど1週間前ぐらいからコロナ感染者が増え始めたのでGo toで行けるのもこれが最後かな、と思いながらの旅だった。


 午前中に仕事があったので、JR高崎駅についたのは午後2時頃。そこから、伊香保温泉に向けてツーリングを始めた。本当だったら、いろいろなところに立ち寄りながら伊香保温泉を目指すところだが、仕事で出遅れてしまったので、ひたすら目的地を目指すだけの旅になってしまった。基本的にはダラダラとした登りが続き、最後に伊香保温泉への本格的な登りとなる。


 前回の秩父旅で体力の衰えを嫌ってほど感じたので、少し自転車のトレーニングをしていたためか、今回はそれほどきつくは感じなかった。秩父のあの峠に比べれば急坂が少なく、苦しいといえば苦しかったが、何とかなったという感じ。


 途中、1回だけ立ち寄ったのが水澤観音。自転車を降りて徒歩で階段を登り始めたときに、やっぱり足に来てると感じた。このあたりは、いい感じの紅葉だ。水澤観音については、寺院のHPからその由来を紹介したい。


 水澤観世音はおよそ1300年前、推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の高僧 恵灌僧正によって開基されました。また、五徳山 水澤寺の名称は、推古天皇の御宸筆(ごしんぴつ)の額名によるものです。ご本尊は国司高野辺家公の三女 伊香保姫のご持仏であったと伝わる十一面千手観世音菩薩。霊験あたらたかなること、特に七難即滅七福即生のご利益が顕著です。開山当初は、御堂の数三十余宇、御仏の数一千二百体にも及びましが、再三の災火により焼失しました。現在の建物は大永年間に仮堂を建立し、宝暦から天命に至る三十三ヶ年の大改築によって完成致しました。



 伊香保の温泉街に入ると、かなりの激坂が待っていて最後の足を使ったが、何とか日が暮れる前に宿に到着することができた。しかし、ゆっくりすることはできない。伊香保名物の石段街や紅葉のライトアップを見るために、休むまもなく宿を出た。石段街は、これが日本の温泉街だと断言できるような風情がある。映画『千と千尋の神隠し』に出てきそうな旅館もあった。日が暮れて店じまいをする街を散策し、ライトアップされた紅葉を鑑賞し、宿に戻った。



 翌日の朝、伊香保温泉の源泉を訪ねたあと、榛名山へとアタックした。ゆるやかな登りがほとんどであるため、イーブンペースを保てば、何とか登りきれそうだ。高根展望台で少し休憩して、伊香保や渋川の眺望を堪能したあと、あと少しの登りを登って、カルデラ湖となっている榛名湖を目指した。




 ウィキペディアによると、榛名湖は以下の通り。


 榛名湖(はるなこ)は、群馬県西部にある榛名山カルデラ内に生じた火口原湖で、水系としては利根川に属する。周囲は約4.8キロメートル、面積は約1.2平方キロメートル、最深部は約12メートルから15メートル。

 『万葉集』の時代から上野国を象徴する歌題「伊香保の沼」として知られる。榛名神社とともに、江戸時代以降は関東地方を中心とする雨乞い信仰「榛名講」の目的地となった。明治以降は近接する伊香保温泉に集まった文化人によって文芸作品に描かれた。大正時代からは本格的な観光開発がはじまり、年間百数十万人(1987年)の観光客を集め、一年を通じて群馬県を代表する観光地の一つとなっている。


 さて、榛名湖到着後は、ロープウェイを使って榛名山山頂へ。山頂からは、利根川がつくる関東平野が一望できる。山頂から降りて、自転車で榛名湖を少しまわった後、山を下りて榛名神社へと向かう。このあたりでは有名な神社なのか、月曜日にも関わらずそこそこの人手だった。高崎観光協会のHPによると、榛名神社は以下のとおり。


 榛名山の中腹にある榛名神社は、第31代用明天皇(585~587)の時代に創建されたといわれています。榛名神社の名前は927年に完成した「延喜式神名帳」(えんぎしきしんめいちょう)という全国の主な神社名を書きあげた記録の中に「上野国十二社」(こうずけのくにじゅうにしゃ)の一つとして載っています。古来より鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。

 雨乞いの神社として、また、修験者の霊場として古くから榛名山信仰の参拝者を集めてきました。

 権現造りの本殿をはじめ神楽殿、国祖社・額殿、双龍門、神幸殿、随神門などが国の重要文化財に指定され、武田信玄が箕輪城攻略のとき、戦勝を祈願して矢を射立てたといわれる

矢立杉は国の天然記念物に指定されています。また、境内や参道には数多くの文化財や見所が多数点在しています。御姿岩(みすがたいわ)や九十九折岩(つづらおれいわ)、倉掛岩(くらかけいわ)、鉾岩(ぬぼこいわ)など奇岩奇景が境内に多くあります。

門前の社家町には、独特の風景を醸し出す国登録有形文化財の宿坊が点在し、榛名神社に参拝しながら情緒あふれる街並みを散策することができます。



 榛名神社からは、しばらくダウンヒルが続く。昔は、山下りは爽快で楽しいと思っていたが、いまは怖いとしか思えない。安全にゆっくりと山を下った。そして、一気に高崎市の中心部へ。そして、観音山公園をへて紅葉の名所として有名な徳明園を訪れた。観音山公園に行く道では、最後の登が待っていた。下りに慣れた足には、こたえる。徳明園は、山田徳蔵という高崎市の商人が私財を投げ打ってつくった洞窟観音に付属している庭園。洞窟観音については、公式HPに以下のとおり書いてある。


 約130年前、高崎田町の呉服商であった『山田徳蔵』が、自らの私財を投げ打って完成させた『観光参拝場』です。

 当園建設の元々の目的は、洞窟観音一周をすれば、札所めぐりと同じご利益があるようにと、地元の人たちの拠り所となる参拝場として、また高崎の観光振興を目的とし外国人観光客など、幅広い人々に見てもらいたいとの思いがあったそうです

 商人として大成功を納め、若くして莫大な資産を築いた徳蔵ですが、人生では一貫して清貧を貫き、人の上に立つこと、自身の実績を誇ることをせず、人の前に出ることを極力控えた人物でありました

 そこには、幼少の頃から頻繁に寺に出入りしてことで培った彼の「信仰心」が、徳蔵の資産を世に役立てる為には「洞窟観音建設」という、壮大な目標に至極自然に結びついたものと考えられます


 ぼくはこの庭園のことを出発する直前の朝のTV番組で知った。まさに「絵に描いたような」紅葉とはこのこと。これから写真の腕もあげたいと感じた。















 


 

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